絶対解析・岡本栄一郎の【公私混同解析】#2

不定期更新で、自由に様々なことを書いていくコラムです。

#2 ラインルーフと相対性理論

絶対解析では、先週開催の11月12日(日)京都10レース、観月橋ステークスの3連単52万馬券を的中させることができた。
軸2頭マルチの軸はクリノリトミシュル、エポックであり、ラインルーフは相手側であったので、的中ハイライト(的中ダイジェスト)では『人気薄のラインルーフが絡んで』という解釈がなされているが、この的中は『たまたま引っかかった』というような消極的な的中ではなくして、積極的な的中であることを確認しておきたい。
と言うのも、波乱の立役者となってくれた1着3番ラインルーフは、絶対値・極限値とも高かったからだ。絶対解析では絶対値・第1位であり、軸に選定していた。

先週開催分の絶対解析では、予想メニューのうち、【絶対解析 複勝】¥540の方で『絶対解析』による3連単の買い目を、【絶対解析 3連単】¥1,080の方で『極限解析』による3連単の買い目を呈示した。
ラインルーフは、極限解析では極限値・相手側第2位、絶対解析では絶対値・第1位と出た。(より厳密には、ロイカバード、ラインルーフ、テンザワールドの3頭が同率1位)
当然ながら、絶対解析では、ラインルーフを軸側に選定し、馬券を組んでいる。
的中票は、極限解析の方にあったが、絶対解析では、軸とまで解析された馬。
絶対能力が高いわけで、124.9倍での勝ち切りも、『むべなるかな』である。

観月橋ステークスの的中に関連してか否かわからないが、私の過去の著書『たとえ8番人気でも一番強い馬を見抜く法』について、ネットでの検索頻度が上がっているように感じるので、杞憂だとは思うが、ここでくれぐれも注意を呼びかけ、念を押しておきたい。
私のこの著書は、100点満点で20点も付けられないような、明らかな失敗作である。
したがって、この書の中古本なり新本なりを、ネットショップ等で買って読まれることは、絶対におすすめしない。
過去の遺物、しかもこのような失敗作に拠るくらいならば、私の毎週の絶対解析を購読していただくことを、ユーザーの皆様にはおすすめする。

この書の、どこが問題なのか。
『特殊』であって、『一般』でない。
特殊化した理論、特化した理論であって、一般化した理論ではない。
そこが問題なのだ。

この書に敷衍した理論は、『サラブレッド相対性理論』として雑誌に発表した理論が基礎となっている。この理論は、競馬というものの全像・全容のうち、極めて限定的な一局面は捉えていても、他のもっと大きな局面を捉えていない。

競走馬の量的ポテンシャルを解析していても、質的ポテンシャルについてはまったく不問に付しているのである。
換言すれば、この書に説いた理論は、量的ポテンシャルという『慣性系』についてのみ、通用する理論であって、全座標系をカバーするものではない。
そこが、重大な欠陥なのである。

プロフィール欄(予想家紹介欄)を注意深く読んでくださっている読者の方ならおわかりだと思うが、商品メニューの説明文のなかで、サラブレッド相対性理論は、いわば『特殊相対性理論』にすぎなかった・・・という趣旨の書き方をしている。
『すぎなかった』という表現を採っているのは、それが集大成ないし完成形でないのは勿論、完成形どころか、相当な不備・欠陥を孕んでいることを含意させてのことである。

先週の観月橋ステークスは、たまたま、量的ポテンシャルの高い馬による決着で、サラブレッド相対性理論がなんとなく当て嵌まるように思えるから、なおのこと、まぎらわしいのだが、【絶対解析 3連単】で呈示した買い目は『極限解析』によるものであって、相対性理論によるものではない。
観月橋ステークスが相対性理論で取れそうなのは、たまたまのことである。
例えば、絶対解析(極限解析)が5月20日に的中させたカーネーションカップ・82万馬券や、9月2日に的中させたウインミストレスの新潟8レース・52万馬券、あるいは9月30日に的中させたエグジットラックの中山8レース・45万馬券のようなレースは、相対性理論では取れないはずである。

さて。
ラインルーフは、2桁着順から、大きく折り返して1着となり、波乱を演出してくれた。
近4走の成績が、14着、13着、16着、15着。
普通のアプローチでは、この馬が折り返して1着になるとは、見抜けないであろう。
だからこその単勝124.9倍である。
『絶対解析』・『極限解析』は、まさに、こういう馬を見抜くことを真骨頂としている。
ユーザーの皆様には、ここに改めて、【絶対解析】をおすすめしておきたい。

ところで。
近頃どこかで『汚れた馬柱』という表現を目にした。
『汚れた馬柱』と言えば、ラインルーフの馬柱こそ、それであろう。
14着、13着、16着、15着・・・なのだから。
しかしこの『汚れた馬柱』とか、『馬柱を汚す』という表現について、思う所がある。

この表現は、昔からある。
半可通に限って、こういう専門用語を符丁のように使いたがる。
しかしこれは、競走馬に対する敬意を、著しく失する表現だと思う。

競走馬は、当歳、1歳、2歳・・・と馴致され、競馬というものを覚える。
『ソラを使う』、『物見をする』など、ごく一部の例外はあるとしても、総じて、競走馬は競馬では一生懸命、走っている。
ガラスの脚で、一瞬にして命を落とすかもしれないリスクを踏みながら、まさに文字通り『懸命に』(命懸けで)走っているわけである。

その一生懸命走ってくれている競走馬に対して、敬意を表する気持ちがあるならば、『汚れた馬柱』というようなネガティヴな言葉は、ゆめゆめ、使うべきではないのである。

極論ではあるが、リボーの16戦16勝の馬柱も、ハルウララの113戦0勝の馬柱も、その馬が懸命に走った証、という共通項において、どちらも等しく尊いものだ。

競馬のプロたる者、心して、言葉を使いたい。